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心のケアへの取り組み(2)〜震災から40日

さちるのつぶやき 其の五十六
震災から日が経過し、初期の頃とはストレスの質や深刻さが変化してきています。
震災から1ヶ月〜の記事を集めてみました。

情報登録日:2011-04-19 21:52:47 (sachiru7777)

最終修正日:2011-05-27 09:30:48 (sachiru7777)

こどもたちにえがおを てをつなごう だいさくせん







被災地にいる子どもたち、お母さんやお父さん、若者たち、
おじいちゃんにおばあちゃん。がんばっているみんな。
日本中の人達に、すこしでも元気になってほしい。
そう思って、僕達は手をつなぎました。

僕達を見て、笑顔になってくれたらうれしいです。
どうか僕達の画像をみんなに届けて下さい。
特に子どもたちが見えるところに。
ひとりでも多くの人に笑顔を。
それが「てをつなごう だいさくせん」です。

We are holding our hands hoping to deliver smile to everyone in Japan from small children to all the grownups fighting for survival in and also our of the disaster area.

\"Project:Holding Hand\" is a special project just launched to encourage people in Japan, especially children directly affected by this recent disaster.
Hope we can make you SMILE.
Please deliver our image to everone, especially to where the children can see it.

(「こどもたちにえがおを てをつなごう だいさくせん」プロジェクトホームページより抜粋転載)


**夢の共演!?ドラえもん、ミッフィー、 ピカチュウ、スヌーピー、エルモ…企業の枠を超え人気キャラが集合!「てをつなごう だいさくせん」**


 ドラえもんやミッフィー、ピカチュウにどーもくんなど、子どもたちに大人気のキャラクターたちが、企業の枠を超えて手をつないでいる画像が掲載されているウェブサイト「てをつなごう だいさくせん」が話題になっている。

 「てをつなごう だいさくせん」はNHKのマスコットキャラクター、どーもくんのキャラクターデザインなどを手掛けるアニメーション作家の合田経郎が、東日本大震災の発生後に発案したもの。サイトに掲載された合田のメッセージによれば、大好きなキャラクターたちが手をつなぎ、ほほ笑みかける姿を見ることで、被災地の人々、中でも子どもたちを少しでも笑顔にして、安心を届けたいという考えから企画を思い立ったという。そして、その合田の意思に、リラックマのデザインなどを手掛けるイラストレーターのコンドウアキが賛同。この夢のようなプロジェクトがスタートすることとなった。

 企画が始動すると、合田の立ち上げた制作会社、ドワーフのスタッフが各企業に賛同を呼びかけた。企業の枠を超えて人気キャラクターたちを共演させるという、夢はあるが、通常では実現不可能ともいえる計画だったが、「子どもたちに笑顔を」という企画の趣旨に数多くの企業が賛同。プロジェクトへの協力を快諾し、3月23日にスタートした際には18体のみだったキャラクターたちに、ピカチュウやトロ、しまじろう、きかんしゃトーマスにパワーパフガールズなど、次々に「おともだち」が増えていった。現在では40体にも及ぶキャラクターたちが互いに手を取り合って、子どもたちにほほ笑みかけている。

 また、発起人の合田による「どうか子どもたちが見える場所へ。さまざまなツールを使って皆さんのチカラで運んでいただけるとうれしいです。たのむ。おねがいします」というメッセージのとおり、サイトからは、プリント用やモバイル用、そしてバナー用など、さまざまな形で手をつなぐキャラクターたちの画像をダウンロードすることが可能。サイトには日本赤十字社の募金受付ページをはじめとする募金情報へのリンクも掲載されている。

 つらく、苦しい状況にいる子どもたちの、サイトを見て喜ぶ笑顔が見えるようなこの夢のような「さくせん」は、現在第5弾の画像が公開されており、近いうちに第6弾の更新が行なわれ、さらに「おともだち」が増える予定。これからも、被災した人々の笑顔のために、たくさんのキャラクターたちが手をつないでいくことだろう。(シネマトゥデイ編集部・入倉功一 5月26日)

リンク「てをつなごうだいさくせん こどもたちに えがおを」

避難先はご近所「共に悲しんでくれる」18軒に371人

 宮城県の牡鹿半島にある石巻市小渕浜(こぶちはま)地区は、学校もスーパーもない約150戸の漁師町だ。唯一の公民館は津波で流され、辛うじて残った18の個人宅が、家や家族を失った300人以上の住民を受け入れる。「一緒に悲しんでくれる。ありがてぇ」。町には独自の「自治組織」が生まれ、絆は震災を機に深まった。
 「それぞれの班で人数の増減はありますか」
 午前9時、閉鎖したコンビニ店に置かれた「小渕災害対策本部」。区長の石森政彦さん(69)が声をかけると、住宅ごとの各班長が状況を報告した。16日の人口は計371人。
 被災証明書の発行手続きなど、市からの連絡事項を石森さんが伝える。定例の会議が終わると、回り持ちの担当班が救援物資の仕分けに取りかかり、町の一日が始まった。
 小渕浜地区は牡鹿半島の中ほどにあり、石巻市の市街地から南東へ約20キロ離れる。狭い入り江に面して約570人が暮らしていたが、津波が集落を駆け上がり、約150戸のうち8割が全壊した。死者・行方不明者は16人にのぼる。
 海辺の公民館は真っ先に流された。避難所に使えそうな場所はほかにない。住民たちが集まったのが高台の個人宅だった。石森さんの提案で、被災者を受け入れた住宅がそれぞれ「班」になった。当初は20班。海を仕事場にしてきた住民が大半で、大きな被害に比べて集落を離れる人は少ない。今も18班態勢で共同生活を送る。
 「2班」の木村光雄さん(76)宅には、車庫や納屋に6世帯22人が身を寄せ合う。震災時、木村さんは石巻の市街地にいた。4日後に戻ると、自宅が避難所になっていた。
 ノリ養殖業の布川章義さん(66)は、妻の悦子さん(60)がまだ行方不明だ。立ちすくんでいた時、近くにいた人から「ここに入ってろ」と言われたのが、特別に親しい関係でもなかった木村さん宅だった。

 「誰がということはまったくない。同じ集落に住んでいれば思いは同じ。家も奥さんも流されたんだから救ってやんないと」と木村さんは言う。

 2班は毎朝、山の水をくみに行く。ドラム缶に入れた廃材を燃やしてお湯を沸かし、ひしゃくですくって髪を洗う。ご飯は朝夜2食で、近くの食堂跡で作ってみなで一緒に食べる。

 班員たちは、布川さんに水くみも廃材拾いもやらせない。「奥さんのこと考えてぼーっとして、けがしたら危ないから」という気遣いだ。布川さんは頭を下げた。「大きな避難所と違い、ここはだいたい知ってる人。一緒に悲しんでくれる。それだけでどんだけ助かるか」
 自動車整備会社「牡鹿モータース」を営む大沢俊雄さん(60)宅は「13班」だ。オイルの臭いが漂う工場を中心に55人が暮らす。
 大沢さん夫妻は「皆と同じ生活をする」と、自宅ではなく工場に寝泊まりしてきた。震災から1カ月以上が経ち、集落には電気も通うようになった。「もう班は解散するから工場を再開してください」。住民たちは何度もそう訴える。
 だが、大沢さんはそのたびに伝える。「1家族でも行き先がなければ、最後まで面倒を見ます」
(朝日新聞4月18日)

身寄せ合う寺で花見会 陸前高田 笛や太鼓に涙ぐむ人も

 津波で市街地が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の成田山金剛寺で17日、お花見会が開かれた。同寺の避難所で暮らす被災者が「復興の第一歩にしたい」と提案した。
 市内各地の避難所などに身を寄せる約100人が、がれきの街を見下ろす高台に集まった。全員で黙祷(もくとう)をささげた後、地元に伝わる祭りの笛や太鼓の音が響くと涙ぐむ人も。消防団員の長男(47)が避難誘導中に津波に巻き込まれて亡くなった佐藤直志さん(77)が「焦らず一歩一歩前に進みたい」とあいさつした。
(朝日新聞4月18日)

遺児の心 ケアハウス募金

 東日本大震災で親を失った震災遺児の心のケアをする施設をつくろうと、あしなが育英会が全国約200か所で募金活動を始め、県内では16日、JR福井駅西口前広場で大学、高校生ら約20人が募金を呼びかけた。
 育英会が被災地で建設を構想している「東北レインボーハウス」の建設資金と震災遺児に特別一時金として1人当たり、10〜40万円を支給するのが目的。
 県内の各高校に電話をかけて学生ボランティアを募ったという坂井市丸岡町新鳴鹿、福井大2年増田欽也さん(19)は「被災した子どもは無理して明るくする場合がある。まず、きちんと話を聞いて受け止める態勢が必要だ。多くの人に支援してほしい」と話していた。街頭募金活動は17、23、24日にもJR福井駅西口前広場で行われる。
(読売新聞4月17日)

被災小中学生に心のケア…新潟

転入各校に県、臨床心理士を派遣
 東日本大震災で避難し、新潟県内の学校に転入した児童・生徒について、不安や恐怖心を和らげる「心のケア」を施すため、県は18日、各学校に臨床心理士の派遣を始めた。
 県教委は「地震から1か月が経ち、緊張が少し緩んで、心の変化が出やすい時期。しっかり手当てをすることが大切」としている。派遣の実施には中越地震、中越沖地震の経験から生まれた専門家のネットワークが役立ったという。
 県教委によると、県内に転入したのは小学生715人、中学生275人、計990人(11日現在)。このうち、児童・生徒計161人から、カウンセリングの希望があった。県では、臨床心理士などの資格を持つスクールカウンセラーら27人を派遣する。
 中越地震、中越沖地震の際、被災した子どもたちには、暗いところが怖い、トイレのドアが閉められない、物音に敏感になるなどの症状が見られた。県では、10年間の計画で児童・生徒の心のケアを行っている。幼児や小学校低学年の時期に被災した子どもたちは、被災体験に理性的な対処ができるようになるまで10年程度必要だという。
 ただ、今回は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で逃れてきた福島県の子どもたちが中心。直接の被災体験とは違う症状が懸念され、既に、避難生活のストレスや疲れ、親の不安を感じ取ることで怒りっぽくなる、といった症状が見られるという。
 また、県立高校に転入学した被災生徒やその保護者についても、担当教諭が心のケアを希望するか確認をしている。高校では、転入希望者75人全員が試験に合格(8日現在)。県立特別支援学校高等部でも1人を受け入れている。現在集計中だが、複数のカウンセリング希望者がいるといい、早ければ今週中にも臨床心理士を、受け入れ先の高校に派遣する。
 市レベルで独自に支援を模索する動きもある。三条市では12日、全33小中学校の教頭が集まる会議に、臨床心理士を招いた。臨床心理士は「子どもたちは今、学校へ行ける喜びでがんばりすぎている状態。十分に目をかけ、手をかけることが必要」などと話し、教諭が気を付ける点や、声かけの方法を紹介した
(読売新聞4月19日)

仮設での孤立防止へ阪神教訓 近所ごと入居・年齢配慮…

 仮設住宅に入った被災者を孤立させないために、何ができるのか。震災前の地域コミュニティーが崩れ、高齢者の孤独死が相次いだ阪神大震災を教訓に、自治体も様々な工夫を凝らす。

 「10世帯以上の団体申し込み限定」と高いハードルを設けた仙台市。その南側に隣接する宮城県名取市は、仮設住宅への入居を希望した被災者に「地域ごとのまとまった入居を考えるので、あとは市に一任していただきたい」と呼びかける。希望世帯を1軒ずつ住宅地図に落とし、隣近所をひとまとめにしながら仮設住宅にあてはめていくという作業中だ。単純な抽選はしないという。
 同県東松島市は抽選で入居者を決めるが、住宅の部屋割りを決める際、同じ地域だった人を近くに集めるよう工夫し、高齢者ばかりが固まらない配慮もする方針だ。「この地域はこの仮設住宅に、という決め方ができれば一番よいが、最初から十分な戸数がそろっているわけではないから」と担当者は言う。
 2004年の新潟県中越地震で被災した長岡市。当時の担当職員によると、被災地から近い仮設住宅に入ってもらうことを基本方針に、市が部屋割りを調整した。「それでも入居者全員が顔見知りとはならないので、市が支援チームをつくり、住民の自治活動を促した」と振り返る。住民が集う場所として、50戸以上の団地には「集会所」を、50戸以下にも「談話室」を設け、運営を住民に託した。
(朝日新聞4月17日)

思い出きっと見つかる がれき撤去で発見の品、体育館に

津波で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)小学校の体育館に、がれきの中から見つかった写真や卒業証書など数々の思い出の品が集められている。
 自衛隊や消防などが撤去作業で見つけた品々で、ボランティアらが汚れをとり除き、結婚式の写真や子どもの記念写真、ランドセルやトロフィーと種類別に分けて捜しやすくした。
 閖上地区に住んでいた大場和子さん(73)は15日、家族7人で捜しに来た。夫の位牌(いはい)や息子の結婚式の写真などを見つけ、「津波で流された家の跡地では何も見つけられなかった。本当にありがたい」と語った。
(朝日新聞4月16日)

声の力で被災者元気に 立命大生 311人分集め 地元FMで放送へ

 東日本大震災の被災者を声の力で励まそうと、立命館大の学生たちが、京滋の市民にインタビューを重ね、メッセージを集めている。22日から録音したCDを被災地へ送り、避難所に流れるコミュニティーFMで放送する計画だ。震災発生日にちなみ、311人分に達するまで続ける。
 「ゴールデンウイークにボランティアに行きます」「復興を心から祈っている」。待ち合わせ中の人たちが、ボイスレコーダーに次々と声を吹き込んだ。19日、京都市下京区のJR京都駅で、立命館大2年の近藤真奈さん(19)と糸永優一郎さん(19)がインタビューに奔走していた。
 「311被災地応援メッセージプロジェクト」と題した取り組みで、「京都三条ラジオカフェ(FM79・7メガヘルツ)」(中京区)の提案を受け、立命館大の学生5人が始めた。
 北区と草津市のキャンパスで学生仲間や留学生から聞き取ったほか、京都市内の繁華街で通行人に協力を求めている。「できる限りの募金をしたい」「世界中が東北の人について考えている」など、すでに100人以上がいたわりの言葉を寄せた。
 計画では、音源を宮城県内で被災者に情報を届ける臨時災害コミュニティー放送局など30カ所以上に届ける。21日午後7時半から中京区三条寺町交差点でインタビューする。
 近藤さんは「肉声に心の内や考えがにじみ出ている。力は大きいと信じている」と話す。問い合わせはラジオカフェTEL075(253)6900。
(京都新聞4月21日)

被災地で供養の祈りささげた住職「心のダメージ計り知れない」

 松本市浅間温泉の神宮寺の高橋卓志住職(62)は、東日本大震災の発生直後から、福島第1原発から30キロ圏内の福島県南相馬市や、壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市で支援を続けている。遺体安置所で祈りをささげ、遺族の声に耳を傾けてきた。4月20日まで延べ20日間被災地で活動し、被災者への精神的ケアの大切さを実感している。
 高橋住職は3月21〜27日、南相馬市の遺体安置所となった高校体育館を毎朝訪れた。27日朝、ある女性がほほ笑みながら、両親の遺体と対面していた。遺体は津波で流された自宅のがれき下で見つかり「家で死にたい」と言っていたおじいさんの望みがかなったからという。「ネガティブな状況ばかりの中、自分を納得させる何かを見つけようとしていた」という。
 一人一人の生き方、死に方に物語があるはずなのに「それが全部消されたよう」に思えた。少ない日で70体、多い日は100体ほどが並ぶ。祭壇があり、ろうそくと線香が置かれているが、お経を読むお坊さんは避難していない。身元が判明すると棺は閉じられるが、多くの遺体は傷みがひどく、震災後10日以上経過しても閉じられなかった。
 チェルノブイリ原発事故の被ばく者、エイズウイルス(HIV)に感染したタイ人、阪神大震災の被災者の支援に携わり、人の死に何度も立ち会ってきた。「他人の苦しみに対応しなくてはと言い続けてきたのに、今回ばかりは追いつかない。自身でもトラウマ(心的外傷)になっている」と言う。
 被災者のダメージは計り知れず、日増しに行き場のない怒りや悲しみが積み重なっているという。被災者がボランティアに向けて、それをぶちまけている場面にも遭遇した。「追い詰められた思いがいつ爆発するか分からない」状況になっている。
 高橋住職は「決して簡単ではないが、生き残った人たちの心のケアを考えなくてはいけない」と強調する。現在、信大医学部出身の精神科医と打ち合わせをしており、精神科医とお坊さんと組んで長期的に被災地支援に取り組もう−と準備を進めている。
(信濃毎日新聞4月23日)




被災地巡回診療の活動報告 「今は心のケア必要」

東日本大震災で宮城県石巻市に派遣されていた唐津赤十字病院の救護班が16日、唐津市文化体育館で被災地での活動を報告した。震災直後から今月上旬まで避難所などを巡回診療した3班の医師らが、時間がたつにつれ、心のケアなど求められる医療が変わっていることなどを語った。
 医師らは約150人の市民の前で、慢性疾患を抱える患者の対応に追われた様子などを写真を交えて紹介。津波で薬を失って高血圧や糖尿病に苦しんだり、避難所の衛生管理が悪く、おう吐や下痢に悩まされる人たちが多かったという。外傷患者は少なく、「津波の被害が大きいため即死したのではないか」と今回の震災の特徴を推測した。
 震災後22日目に現地入りした医師は、家を失っても「もっとひどい人たちがいる」と感情を表に出さない被災者がいたことを報告。「ストレスを抱えたまま1カ月近く過ごしており、心のケアが必要になっている」と話した。
 救護班は同病院の医師や看護師、日赤県支部の事務職員らで構成。地震発生翌日の先月12日から計3班が被災地で活動した。現在も医師ら7人が18日まで、福島県の福島赤十字病院を拠点に活動している。
(佐賀新聞4月22日)

「こころのケア」を中心とした医療支援活動 ニココロPROJECT スタート

2011年4月22日
世界の医療団(特定非営利活動法人 メドゥサン・デュ・モンド ジャポン)
東日本大震災に立ち向かうために。
「こころのケア」を中心とした医療支援活動 ニココロPROJECTスタート
世界の医療団(特定非営利活動法人 メドゥサン・デュ・モンド ジャポン 東京都港区 理事長 オスタン・ガエル) は、4月3日(日)より、東日本大震災で被災された方々を対象に、避難所、学校、個人宅などを回り、「こころのケア」を中心とした、医療支援活動を岩手県大槌町で展開しています。この度、私たちは4月22日(金)に、「ニココロPROJECT」と題した活動支援特設WEBページ(http://www.mdm.or.jp/nicocoro)をオープンいたしました。ニココロとは、笑顔の“ニコニコ”と“心”を合わせた造語です。この言葉には、ココロのケアによって、少しでも笑顔な時間を過ごすことができますように、という想いが込められています。
現在までに、精神科医4名、医療コーディネーター1名、看護師4名、ロジスティシャン1名、運動療法の専門家1名が岩手県大槌町に入り、避難所、学校、個人宅などを回りながら医療支援活動を展開しています。多くのものを失ったショック。先の見えない避難生活。そのストレスは想像を絶するものです。被災直後には症状が出ない方でも、少し状況が落ち着いた頃に過去の記憶が蘇るなどして、長い間心の傷となってしまう場合もあります。
私たちは、病や不調に対する薬の処方などの診療に加え、ストレスや緊張の緩和のための呼吸法・マッサージなどの被災者ご自身でできる自己緩和法の伝授にも力を注いでいます。また、長期的に被災された方々とともに復興への道を歩んでいくことを決意し、長期支援活動の展開に向けた準備も同時に進めております。
特設ページでは活動紹介と共に、医師から被災者の皆さまに向けてのメッセージや、ご自身で出来るケアなどについても紹介しています。同時に、このプロジェクトへのサポーターを募り、ご寄付も受付けております。
1995年の阪神・淡路大震災発生時に、フランスからの緊急医療支援チームが派遣されたことを契機に設立され、以来日本に根付く団体として、世界の医療団の持てる力の全てを結集し、東日本大震災で被災された一人でも多くの方々に、責任を持って医療支援をお届けすることをここにお約束いたします。
被災者の方々が、人と人との繋がりを感じ、希望の光を見ることができますよう、皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。
詳しい内容は「ニココロPROJECT」特設WEBページでご確認ください。

【世界の医療団とは?】
“私たちはあらゆる病と闘います。不公正という名の病とも”
「世界の医療団」はパリに本部を置く、世界各地に医療・保健衛生分野の専門スタッフ中心に派遣し、人道医療支援に取り組む国際NGOです。国籍、人種、民族、思想、宗教などのあらゆる壁を越えて、世界で最も弱い立場にある人々に支援の手をさしのべることが、私たちの活動です。
(共同通信PRワイヤー - 47NEWS(よんななニュース))

リンク特設WEBページ ニココロPROJECT

障害者の避難 必要な支援調査

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、緊急時避難準備区域に指定された地域に住む障害者について、福島県南相馬市は、避難の際、どのような支援が必要か本人や家族から聞き取る大規模な調査を行っています。

南相馬市のうち、福島第一原発から20キロから30キロの圏内は緊急時避難準備区域に指定され、緊急事態が起きた場合、この地域に住む全員が避難を求められることもあります。しかし、この地域に住む障害のある人たちについては、避難の際、どのような支援が必要か情報を十分に把握できていないことから、南相馬市は、地元の福祉団体とともに聞き取り調査を始めました。対象になっているのはおよそ5000人で、調査員が自宅を1軒1軒訪ね、▽避難の際に必要な支援や、▽同行する介護者の人数、▽避難所で生活するときに留意することなど詳しい情報を直接本人や家族から聞いて回ります。南相馬市とともに調査を行っている団体の西澤心さんは「障害のある人たちが、いざというときに安心して避難し、避難場所で生活できるよう支援の方法を確立したい」と話しています。
(NHKニュース5月9日)

被災地支援の看護師もケア必要 神戸で研修会

 東日本大震災の被災地で医療支援に取り組む看護師の心のケアを目的とした研修会が26日、神戸市中央区の県看護協会で開かれた。現地に派遣された看護師は「十分にやれたという達成感を得にくく、心が苦しい」などと報告。専門家は「被災地では気分が高ぶって何かしたいと思うだろうが、役割を踏み越えず、自分自身のケアもしてほしい」と呼び掛けた。


 同協会は震災直後から宮城県石巻市と気仙沼市に看護師を派遣し、現在も被災者の健康チェックなどを担っている。研修会は今後派遣予定の看護師に、既に活動を終えた看護師の声を聞いて、起こり得る心のストレスを知ってもらうため企画。約50人が参加した。

 今月5〜8日に石巻市の避難所で活動した山本大祐さん(35)=朝来市=は、家族に排尿の介助をさせたくないため水を飲もうとしない男性に、「水を飲んで」と言えず悩んだ体験を紹介。「深刻な状況が続いていることもあって達成感がなく、兵庫に戻って周囲から『良くやったな』と言われても、素直に受け取れない」と打ち明けた。

 他の発表者からも「避難所にいる人すべての健康チェックはできなかった。ああいう活動で良かったのか自問してしまう」との声が相次いだ。

 兵庫県こころのケアセンターの加藤寛副所長は「『何が必要ですか』と尋ねる御用聞きとして控えめに活動してほしい」と、現地で頑張り過ぎないよう提案していた。

(神戸新聞4月27日)

被災地のがん患者にタオル帽を 加古川の市民団体 

 抗がん剤治療で髪の毛が抜ける副作用に悩むがん患者に、タオルを縫い合わせた帽子を贈っている加古川市のボランティアグループ「加古川たおるぼうしの会」が、東日本大震災に遭った岩手県の市民団体にも帽子を届け始めた。帽子を縫う協力者を増やそうと、講習会を開いており、参加を呼びかけている。


 同会は2009年の発足。同市加古川町北在家の主婦松下よし子さん(62)が、岩手県でタオル製の帽子を贈る活動をする「岩手ホスピスの会」を知ったのをきっかけに、近所の人らとともに会を立ち上げた。

 帽子は、肌触りの優しいタオルを型紙に合わせて切り、布の伸縮性を失わないようにすべて手縫いで作る。現在は約40人の協力会員が、月に平均約200枚を製作。加古川西市民病院や姫路赤十字病院など県内約20カ所へ定期的に届けている。

 松下さんらは震災発生後、岩手ホスピスの会が避難所に帽子を届けていると知り、協力することに。4月中旬から3回に分けて帽子約200枚を送った。薄毛を気にする高齢者にも好評という。

 講習会は、2カ月ごとに加古川市内で開いている。「被災地へ継続的に贈りたい。たくさんの人に参加してほしい」と松下さん。次回は15日午後1〜3時、同市加古川町寺家町のJAビルで。参加費千円(タオル、型紙代など含む)。松下さんTEL080・5323・0445
(神戸新聞5月13日)

「一粒の種」被災者の心癒やす

 「ちっちゃくていいから 命の種に必ずなるから すぐそばにいるから」―。宮古島市出身の歌手砂川恵理歌さん(33)が3〜9日までの間、東日本大震災で被害を受けた宮城、岩手、福島県の計9カ所で訪問コンサートを開き、がん患者の遺言を基にした曲「一粒の種」など温かな歌を届け、被災者の心を癒やした。
 コンサートは「一粒の種」を全国に届ける「スマイル・シード・プロジェクト」の一環で、被災地からの要望で実現した。
 「震災を体験した後、泣くことすらできなかった」「妻が行方不明になってまだ見つからない」。避難所でのライブ終了後、被災者は涙ながらに身の上を語ってくれた。「つらい思いを抱いたまま共同生活を送る避難者は、どこか感情を抑えているように感じた」
 宮城県石巻市では津波発生時、住民が避難した山に登り、津波の爪痕が残る町を眺めた。「被災した方に津波で人が流された様子を教えてもらったが、言葉が出なかった」。ただ無念さだけが、痛いほど伝わってきた。
 「またおでんせー(また来てね)」。岩手県宮古市では、しっかりと両手を握りしめたおばあちゃんからそんな言葉を掛けられた。「命のありがたさを皆が真剣に考えている今だからこそ、共感を持って受け止めてもらえていると思う」
 2009年の発表以降、「一粒の種」は全国で共感を呼び、訪問コンサートは330回を超えた。震災後、被災地に同曲のCDを送ったという声も多数寄せられているという。
(沖縄タイムス5月13日)

「もう限界。家に帰して…」 自衛官らの「心のケア」課題に

 東日本大震災で被災地に派遣され、遺体の捜索・収容作業に当たっている自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題となり始めている。これまでに1万人近い遺体を収容するなど奮闘してきたが、一方で凄惨(せいさん)な現場で受けた精神的ショック(惨事ストレス)から心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状を訴えたり、奇行に走るケースも出ており、各省庁では惨事ストレス・ケアに乗り出した。

 「もう限界です。家に帰していただけませんか」

 西日本の部隊に所属する陸上自衛隊の30代の男性自衛官は、部下の切実な訴えに接するたび、心に重圧がのしかかる。

 震災直後に被災地入りし、数十人の部下と続けたテント暮らしはまもなく2カ月を迎える。主な任務は沿岸部での遺体の捜索活動。これまでに数十人の遺体を収容、自治体などに引き渡した。

 住宅のがれきの下では、全身に傷を負った親子とみられる若い女性と5〜6歳ぐらいの女の子の遺体を発見した。「もしこれが自分の妻と子供だったら…」。思わずつぶやいた同僚は、夜になるとテントの中でうなされていた。

 春を迎えて日中の気温が上昇し、日を追うごとに発見される遺体の損傷は進んでいる。交代もままならず、「精神的にまいってしまい、前線を離れる隊員が多くなった」。

 防衛省によると、過去最大となる約10万人の自衛隊員を投入した今回の震災では、警察、消防、米軍などと合同で行った分も含めてこれまでに計約9200人の遺体を収容。今も被災地では、1日数人単位で遺体が発見され続けている。

 肉体的な疲労に加えて、損傷がひどい遺体を扱う惨事ストレスは日に日に増している。一部には奇行に及ぶ者も出ている。

 海上自衛隊横須賀基地所属の3等海曹(31)は、宮城県沖で遺体収容作業を終えて通常業務に戻った3月下旬、レンタルビデオ店で下半身を露出し公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された。再び被災地での活動が決まっていたことから、「また行くのが嫌だった。捕まれば行かなくてすむと思った」のが犯行理由だった。

 防衛省は、被災地での活動終了後に隊員が精神的負担からPTSDを発症する可能性があると判断。活動を終えて1カ月後、半年後、1年後をめどに、質問項目に記入する形式で心理状態を調査する方針だ。

 警察庁も対策に乗り出した。ケアの対象は岩手、宮城、福島の3県警の全警察官・警察職員の計約1万500人で、問診票を配り震災対応後の心身の状態について調査。惨事ストレスが強いとみられる職員には、委託先の民間機関から臨床心理士らのチームを派遣し、面談を行う。

 一方、がれきが漂う海中で捜索や遺体収容に当たっている海上保安官らも、相当な惨事ストレスを受けているとみられる。

 海上保安庁は、震災発生から1週間後に被災地で業務に従事する潜水士や巡視船艇の職員ら約1600人を対象にアンケートを実施。うち約1割の職員について、心のケアなど「経過観察が必要」とする結果が出た。

 こうした職員らと面談した海保の惨事ストレス対策アドバイザーを務める広川進・大正大准教授(臨床心理学)によると、「涙が止まらない」「現場の光景がフラッシュバックする」といったPTSDに似た症状を訴える声もあがったという。

 広川准教授は「過酷な作業の長期化が予測されるこれからが一番危険。まとまった休息をとって頭のスイッチを強制的にオフにするなど、十分なケアが必要」と指摘する。
(産経新聞5月5日)

児童助けられなかった 自責の人…心のケアを 大学生が被災地救援報告

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で、汚泥処理などのボランティア活動を続ける文教大学湘南キャンパス(茅ケ崎市)の学生有志でつくる「文教ボランティアズ」が十三日、同キャンパスで活動報告会を行った。

 ボランティアズは二〇〇一年、紛争・災害地の厳しい現状を学生に体感させようと、同大国際学部の中村恭一教授が結成。スマトラ沖地震、新潟県中越地震など内外の被災地で活動してきた。

 今回は会員百五十人のうち五十人が、六〜九人のグループに分かれ、四月から一週間交代で石巻市入りした。

 第一陣を務めた佐藤夕夏さん(三年)は「家財を出し、床をはぎ、泥を排出した。ご家族の思い入れの詰まった家財道具を処理するとき、胸が痛んだ」と唇をかんだ。

 児童の七割が死亡・行方不明になった大川小学校で奮闘した男子学生は「裏山へ避難させれば、子どもたちを助けられたのでは」と自問し続ける人を目の当たりにした。「残された人の心のケアが必要」と力を込める。

 ボランティアズは今後も、週末をベースに活動を継続する。関連して同キャンパスのロビーで二十八日まで、支援活動の写真展も開いている。問い合わせは同キャンパス=電0467(53)2111=へ。
(東京新聞5月14日)

【転校生の迎え方】児童相談所職員らがガイドブック

被災した子どもが転校してきた時、受け入れ先の学校現場や地域が注意すべき点を示したガイドブックを、児童相談所職員らがまとめました。「地域の一員を新しく迎える姿勢が大切」(大阪人間科学大・金澤ますみ助教)。




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